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「アジアの純真」 見て見ぬふりの曖昧な取り扱いに喝采
2011.11.06 Sunday 13:54
「アジアの純真」をシネマスコーレにて見てきました。

この題は、Puffyの「アジアの純真」から取られていて、映画でも歌が着信とカラオケシーンと歌い聴かせで使われています。映画の英題はPure Asiaのようですが、Puffyの方は普通に英訳するとPure Heart of Asiaで公式にはAsia No Junshinとされている。映画の英語タイトルが適当に付けられたのか、Pure Japan、Pure Korea、Pure Chna、Pure Asia、Pure Amerika etc. を揶揄ってるのかは分かりません。

当日は主演の
韓英恵さん、笠井しげさん、準主演の黒田耕平さん、脚本の井上淳一さん、監督の片嶋一貴さんによる舞台挨拶がありました。写真はツイッターで既に報告済み。
韓英恵さんの誕生日が近いとの事で、サプライズ・バースデー・ケーキ贈呈もあり、舞台挨拶は楽しかった。映画の感想は、後の方なので、もちっと待って。(感想はネタバレです)。

韓英恵さんは韓国と日本のハーフだそうで現在日本のパスポートを持っているが、22歳に決めなきゃいけない国籍のことも挨拶トークで触れていましたた。
韓(彼女の本名かは知りませんが)は韓国では良くある性で、韓国の映画や芸能人で言うと、KARAのハン・スンヨン(韓勝妍)、ハン・ヒョジュ(韓孝珠)(トンイ)、 ハン・ソッキュ( 韓石圭)(シュリ、スカーレット・レター) などがいますが、日本人なので、読み方は、かんはなえさんです(ハングル読みにするとハン・ヨンヘさんになるかと)。わたしは韓英恵さんを知ったのは「誰も知らない」からで、
是枝裕和監督柳楽優弥さんが2004年度のカンヌ国際映画祭・史上最年少最優秀主演男優賞を獲得したこの映画韓英恵さんの幼くもしっかりと存在感のある紗希役がどれほど重要であったかかは、映画を見た人は知っていると思う。「memo」や「疾走」といった映画も素晴らしかった。
舞台挨拶の中で少女時代が好きといっていたので、聞き込みをすると、ユナ、ユリ、サニーが好きで、残りのメンバーもみんな好きらしい。
今、「僕とスターの99日」というドラマに出ているそうだが、生憎わたしはテレビドラマは最近リアル時系列で見ない。キム・テヒが出てます(そうです)。

あと、黒田耕平さんは映画ではメチャ弱気な少年役ですが、本人は明るく親切な好青年です。ナイスな奴です。

じゃあ、ボチボチ、映画の感想行きます。
■ネタバレ









わたしの感想は例のごとく、ざっくばらんとせず、理路整然としていない。敢えて、ご容赦すら求めにくい(読むの辞めてとか、大嘘)。けどご容赦を。

在日姉妹。姉の正義感及び少年に「世界がどうしたらよくなるか」と話しかける、妹の復讐テロなのか世界が良くなるテロ。か。 これは当然のこととして、在日の方々の行動規範とは違うしフィクション。実際、差別され憤っている方もとても多いと思う。しかし多くの方はそれを抑えるかそれこそ(自分の感情を抑えて)見て見ぬふりをしていると思う。もちろん
パギヤンのようにそうした怒りを芸の肥やしにしている方もいる(あくまでも、言論や音楽などで、ですが)。
フジテレビ前にデモする嫌韓やネトウヨの執拗な嫌がらせを見るまでもなく、いや寧ろ、大掛かりなテロなんて現時点で起こっていないのは、現実の平和な世界か、やがて起こるかもしれないことなのか分からない。この映画は決して煽ってはいないが、可能性を排除しておらず、公開を断られ続けるというのは、仮にそうしたことが起こってしまった場合に、責任を問われるのを回避する行為で、そりゃあそれでそうなんだろうな、と思う反面、ああ、そうした公開拒否の逸話が出てないと、逆にこの映画がカスってことになり、少なくとも拒否されたけれど、海外の映画祭で評価後に凱旋公開となった(凱旋公開といっても「
花井さちこの華麗な生涯」の場合とは経緯も含めてちょっと違う)。

少年は何故、北朝鮮拉致被害者家族のニュースに家族アンチになったのか? それは父母の様子を見た直感(なんとなく)が残っていたことと、当然にして自分を助けた人が殺されたことに対しての贖罪の意識が加わったことだが、この映画では、その要素もありそうだが、それよりまず少年自体が、全く自発的な行動についてできていなかった子だったということ。少年は弱虫であり、自分では何も決められず、言われたように引きずられていく。逆に言うとそれは従属的に加担しながら犯罪首謀者になることを描いている意味もあるのだが、また、当然のこととして、現実の北朝鮮拉致被害者家族に対するアンチ行動を日本人の自意識があるチャンとした大人が持っているなどということは、流石に映画にはかけないのである。
しかし「日本を愛する=北朝鮮拉致被害者家族の行動を全面的に肯定する」ではないことを理解している場合において、このシチュエーションは決して愉快でなく不快部分はあっても理解できるのである。北朝鮮拉致被害者家族の方々は被害にあった本人も含め、理不尽に人権を蹂躙された、紛う事なき犯罪被害者であり、それに対抗する当然の権利を有することは誰でもが認める。わたしもだ。ただ、彼らが政治に利用され、また逆に(切迫した必要性からであっても)政治的な行為に走った箇所において首を傾げる部分があったり、メディアや政治家の姿勢があったりしたことは改めて指摘しておきたい(このブログでは以前にさんざん書いたこと)。取り合えず、2件書きます。
拉致被害の救済をブッシュ−ラムズフェルド−チェイニーの戦争犯罪者と同等の三悪に娘を助けて欲しいと嘆願したこと。(拉致被害と関係ないがついでに言えば昨今の独裁者殺害は司法手続きを経ていないものが多く、ブッシュからオバマに変わっても出鱈目は不変)。
わたしはめぐみさんは生きているが国家の裏情報まで知っているので日本に返せないという説は本当であるか否か知らないがめぐみさんに生きて欲しいと思うし、北朝鮮が日本にめぐみさんの遺骨として渡したものは偽物だろうと考えることを否定しないが、
日本の科学者が偽遺骨であったことを科学的な分析で断定したことは嘘(科学的に間違い)だと知っている。
どんなに擁護されるべき人々でもアンタッチャブルでやってること関わってること全て正しいとはあり得ないと言うこと。(そうは言っても全面的に解決することを当然思っていますが)

ついでながら、北朝鮮へのついて意味もない全否定は、わたしはおかしいと断言することの補完として、わたしとしては心ある人は「
愛しきソナ」を見て欲しい。

見てみぬふり・・・見てみぬふりは勇気の問題。この映画の少年はビビッてました。ビビリは恥ずかしいけ完全に否定できない。否定とかというより自分ィ返ってくる。じれったい想いと、じゃあ自分の中にある勇気ってどれ位。反則技です。
他の通行人は文字通り見て見ぬふり、そこで発生していることが見えないふり。関わり合いになりたくない。つい最近の中国のひき逃げ少女見てみぬふり動画もひどかったが、背景に発見者が犯人にされてしまうこともあるという犯罪捜査や司法の欠陥とは切り離せない、と聞くとやるせない。
これはアンチ・見てみぬふり、というより、もし気になることがあったら、できる勇気から行動すれば、程度のことしか言っていないのではないか、事前予想ほど押し付けた描き方じゃないと思う。その一歩の僅差なんだと思う。
例えば、少年が自発的に行ったことは、(1)少女を気に入り待ち伏せする⇒(2)罪悪感から妹を尾行する⇒(3)逃走の途中で凍えた少女を見て買い物に行く⇒(4)紛争地域に行きゲリラになる⇒(5)東京タワーでテロを企てる。であり(もっとあったかな?)、(1)から(3)の間では非自発的のオンパレードだった。
この描き方自体が確信犯的。つまりヘタレ的に政治的なものを含めたこの映画自体、ヘタレ的にさえ誰も描こうとしてないからやったろう、みたいなセルフ・パロディ的にリングが形成されている。

テロリストの主体性。この点については、この映画では、まったく掘り下げていない。いや不可能でしょ。甘いとか有り得んとかふざけてるとか言うのは勝手だが、ある意味、この映画における少年少女は未成熟で、世界に対して変った方がいいと思っていようがいまいが未熟である。未熟者を描くことで描けないものを描くというのはある意味確立した映画技法でイラン映画とかでも多く珍しくない。後半、戦闘地帯で出てくる外国人として、少年がふっとばされるのを描いた。全て少年少女で片付けている。
これには2点考えさせられる。1点目は現実問題で紛争地帯のゲリラに実際、年端のいかない少年少女が動員されているという現実。もう一つは、ゲリラやテロリストの本質に迫ろうという意思がこの作品には端からないのである。それはある意味正解で、そんなことができるのはよっぽど年期を積んだか過去の実際の闘争をどんな形であれ知っている師匠の
若松監督に任せておけば良いので、その時点でできないことならば、やらないのである。「できないことはやらない」のと「見て見ぬふり」が極めてクロスすることから、その点で製作者は、見て見るだけならできる、突っ込み過ぎなければ、ということだろうか。現実にはペットのことで「テロリスト」になる人もいる。深くなくテロリストは容易に発生すること自体はフィクションでなく現実。そして「重いテロリスト」については本当に難しい( 「テロル」ヤスミナ・カドラ著を読んだり今でも思う)。
だからこの映画は決して特定の民族間の軋轢を主題にしただけで済ませるようなものでもない。動機はチマチョゴリいじめ(北とのことの余波での日本での「現実世界」、報道もされた)としても、それはきっかけで、この作品自体も、嫌・嫌韓の部分は、欧米のイスラム規制とか何にでも置き換えられる(ちゃんと想像すればであるが)。

後半のある意味チープな展開について舞台挨拶でキューブリックの「博士の異常な愛情」(「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」)に触れていて分かったが、最早SF・ファンタジーなのである。筒井康隆も「時をかける少女」を書いても「日本以外全部沈没」も書くでしょ的かもしれないが。憎しみの連鎖を停めようとした決意が泡と消える−なんちゃって世界を描きながら、少年少女の直接被害映像は、むせる警官くらいにして、会議場と通行人被害は描写せず、会議の方は被害にあう前にてグロイ(苦笑)。意図的にホドホドにして少年少女のやってることはいかんやろー、と思っている観客に、まあそれは置いといてとスクリーンから目を背けさせず最後まで見させるという企てなのだ。実際、この映画は、物語だけ取ると演劇向けのところがある。それを映画的にしたのは、最後の出鱈目であったり、舞台挨拶のQ&Aに出てきたように、ビニールの上の船(フェリーニなんだとか)であったり、ガツガツ食べるところであったり、トークでは出なかったが、少年が少女を尾行するところをこれでもかと延々と撮るとこ、とかなのである。

倫理的にどうこうとか、反日うんぬんとかじゃなく(言ってる人が出て来こと自体ある意味成功)、ずっこけ甘酸っぱい青春モヤモヤすっとぼけハチャメチャ、デモ勇気ある真面目な映画として記憶にとどめたい。

まあ、ネット見ると日本人虐殺の映画とかとは言われてようだが明らかに違うと思ったけどね。おかしいな。まあそれで知名度上がればいいのかどうか知らんけど。低予算映画だし映画的な水準という点は正直よく分かりません。

また、この映画を紹介する映画関係の記事は北朝鮮の少女と紹介している記事が結構あるが、それは間違いで在日の少女ででしょう。こういう間違いを平気で書く映画記事(シネマトゥデイあたりのメジャーでも)が出ること自体、この映画はフィクションだけれどノンフィクションだなーと思う。要はPure Japan(???)以外については適当で一緒くたでネトウヨと変わらんのは極めて多い訳だ。

写真はこのブログに貼らないと思ったけど、
ツイッターはすぐなくなるので、1枚だけ同じの貼っておきます。バースデーケーキとかの場面はツイッター見てください。



映画「アジアの純真」オフィシャルサイト

『アジアの純真』 片嶋一貴監督×井上淳一さん×青山真治監督トークショー | ミニシアターに行こう。

女優・韓英恵「在日と差別されても日本人が嫌いだとは思わない」と決意のコメント!反日のイメージ先行『アジアの純真』がいよいよ日本公開! - シネマトゥデイ

韓英恵ブログ

予告編は貼りません。予告編だけだと観にいく気にならなかった。予告編で想像するより力のある映画。敢えて言うと、この映画は、おいらが才能ある映画監督だと仮定していたら撮っていた映画だね。過激でもなんでもない。極めて良識のある映画。

JUGEMテーマ:映画館で観た映画 
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